かえるの気長な生活日記。

FP会社勤務のへっぽこ投資家が、みなさんの老後の不安を少しでも減らすお手伝いができるよう、資産形成に役立つ投資(直販投信、インデックス投資、確定拠出年金iDeCo、バリュー投資)を自ら実践・やさしく紹介しているブログです。

僕はパパを殺すことに決めた (中)

暴力

一番大きな要因としては、暴力、虐待が大きな要因ように思えました。
父親の供述やコメントを見てみますと、「勉強の成績が不甲斐ない時には手を挙げた。」と見られます。しかし他の方の証言を見ますと、ひどい虐待があったようです。

父親以外の証言をまとめてみますと、
 ・元妻とA君が生まれる前からの暴力によって離婚をしている。
 ・話合いにきた元妻の父親をも殴っている。
 ・家庭訪問に来た教師の前で殴っている。
 ・中学、高校の同級生も殴られいた愚痴を聞いていた。
 ・妻が通っていた医師も暴力について相談されていた。
 ・息子がA君を厳しく教育、殴っていたのには気付いていた。
 ・最近は殴られても痛みを感じなくなった。
 ・引っ張られ抜けた髪の毛を数えていた。

しかし、父親から手を挙げた事や行き過ぎた程度の認識しか無いように感じられます。
このような悲劇が起こっても、父親が事件に与えた影響を認めたくないと感じられる言葉が見えるような気がします。どこか他人目線な所を感じます。(コメント等を見ての感想です。)
殴った事もほとんど覚えていないのだと思いますし、自分の保身ための見栄も大きいと思います。

塾が終わってからは、毎日に付きっきりで勉強の監視をされ、「問題が解くのが遅い」と言う程度の理由の中、殴られながらも進学校で、ある程度の成績を残していたA君には凄ささえ感じています。

A君もそのような所、見栄のような部分を感じていたのかどうか判らないのですが、父親に怒られるのが恐いため、中学1年の時に成績表を改竄しています。
この行動からも、父親について、相当の恐怖を抱いていたと見て取れるのではないのでしょうか・・・・・。
中学1年でテストを改竄に至らせる教育環境が凄さを物語っているように思います。
通常では、テストの改竄などバレてしまうので、しないはずですが、それなりの理由もあったようです。


コンプレックスと独りよがり

著者は父親のコンプレックスについて触れています。医者家系に恥じないようにとか、男手で育てる、元妻へ馬鹿にされないよう等のコンプレックス(鑑定書では、少年を医者にしなければならないという強迫性に起因すると考えられる。)について触れていますが、この点は僕には判らないので、後で自分なりの考え方を書いてみたいと思います。

良い学校に入れたいと言う思いからか、非常にA君に思い入れをするわけですが、祖母以外からは行き過ぎてると何度も衝突をしています。
父親は事件により亡くなった妻は、A君の調書や、担任のコメントを見ますと、A君の母親になるべく非常に努力していたようです。最初の頃は庇って殴られたあるようです。なので、報道でされていたような母子の確執も僕には無かったように思われます。

ですが、A君はおまえの子ではない、教育に口出しをするな」と言う事を言われ、家族として頑張らせない父親がありましたし、担任にも暴力について注意されても全く変わらなかったようです。
せめて父親に注意する事ができそうな、祖母が味方にと思いますが、A君によると会っては、「立派な医者に」とか、「良い幼稚園」にと教育熱心な祖母には、A君もSOSを出せなかった様な気がします。

中学生になってからは、反抗もし何度かは殴り合いの喧嘩になったようです。力でのアピールもしましたし、きちっと「自分で勉強する」と伝えたようですが、父親には届かなかったようです。
父親は、誰一人の言葉も聞かずに、自分なりの教育をして行ったようです。


A君の逃げたいという意思

6/5にテストの高校1年の中間テスト成績が返ってきました。その中で英語の成績が悪くこれ原因で父親に暴力により殺されるのではないかと言う思いがあったようです。6/20には保護者懇談会があり、成績が確実に判ってしまいます。暴力をふるわれるのは明白でした。
中学時代の同級生の証言も成績が悪い時のA君の落ち込み様はひどく、話しかけられないほどだったようです。今回もそのような兆候が有ったのかもしれません。
翌々日の6/7から決行の6/20まで、さまざまな方法で父親の殺害をシミュレートしたそうです。
父親が6/20(6/19日深夜)の当日は家にいないと判っていたのですが、懇談会の恐怖と、勉強から逃げるとと言う決意から、事件は決行されてしまいました。
父親を殺すより、逃げると言う気持ちが勝った事がこの事件の真相が有るような気がしてなりません。逃げるしかないとA君は感じていたようです。

A君自身、放火の方法に至ったのは14日となっています。母親達の避難経路も一応確認したりと、やはり父親に対してだけの感情であったようです。


する側とされる側

一般的な虐待の加害者の被害者の言葉と同じく、父親は「愛の鞭」「少し程度、何度かは・・・・」と、痛みが伴わないので覚えていないのかも知れませんが、A君は出来事と痛みを覚えています。
父親の幼少時に手を挙げてた事があると祖母は書いてありました。父親のこの件に対する調書は無かったのですが、どこか勉強としつけ(暴力)がセットになって良いという感覚があったのではないでしょうか。
悲しい事にこの家族にも負の連鎖はあったようです。

父親からは「暴力を振るった事は許してくれた」、「息子は愛情に飢えている」や「一緒に罪を償う」と言った言葉があったそうです。
ですが、父親の暴力はそんな簡単に許せる行為では無かった思います。今までの行為と父親の思いにズレが有るように感じます。